なぜ英語を勉強しているのか
仕事で使うし、英語好きだし。
それももちろん大きな理由なんだけど、もう一つに留学中にお世話になったkiwiの先生の存在があります。
実はその先生は数年前に若くして亡くなってしまい、もうこの世にはいません。だからしばらくはこの先生の話はできなかったし、ブログにも出てきたことはありません。
先生との出会い
私は大学生のときすごくアホで、留学のことをなにも調べずに大学を休学し、実家の近所のおばさんのツテで学生ビザを取ってNZの語学学校に入りました(真剣に留学の準備している学生なら交換留学という形で大学に留学している)。
そこで出会ったのがK先生(KiwiなのでK)。見た目は陽気なおじさんで、中身も陽気なおじさん。1番上のクラス(intermideate)を担当していて授業中は厳しいけど教え方が抜群に上手。毎週金曜日はK先生の家でパーティ。小さい学校だったので生徒全員がK先生の家に集まって深夜までお酒飲んで騒いでそのままK先生の家でザコ寝したりして、ほんと学校なのに大家族みたいでめちゃくちゃだった(笑)
年齢10個くらいしか違わないけど外国人って年上に見えるし、私たちはお父さんみたいに先生のことを慕っていた。あまりに生徒との距離が近いのでたまにガチギレされたり本気の説教されることもあったけれども愛情深くて、みんな本当に本当に大好きだった。
留学4ヶ月目
留学して4ヶ月くらいした頃TOEICを受けて、815点を取った。(元々は650点くらい)。
※一応会話は英語
K先生「NEKON SA〜N! 成績届いたよ
815点!!!!
すごいジャン!!!!」
ねこん「わーわーわー!!!!!
嬉しい!!!!」
K先生「最初のアンケートで800点以上が目標って言ってたよね?叶ったね!!!!」
ねこん「うん!!!!!
嬉しい!!!!!
でも800オーバーが私の最終的な目標じゃないんだよ。
目標は900、、ううん、フルスコア!!!!」
K先生「Whaaaaat?!?!?!
800オーバーならもう良くない?」
ねこん「でも英語頑張る以上はMAX目指したいじゃん
最終的にはネイティブになりたいしw」
K先生「ほんと生意気だし欲張り!!!!」
ねこん「ヒッヒッヒ
見てなよK先生」
その後先生は現地で日本人女性と結婚。(生徒ではないよ笑)
帰国後もFacebookで繋がっていたので、TOEICで良い結果が出るたびに報告をしていた。先生はいつも喜んでくれて、「帰国後は英語やらなくなっちゃう生徒が多いから嬉しいよ続けてくれて」のようなことを言ってくれていた。
数年後のある日、その先生が病気でもう長くないということを知った。
先生は最後にみんなに会いたい、とかなり無理をして日本に会いに来てくれた。そのとき留学していたメンバーみんなで連絡を取りあって複数の都市で何日かに分けてK先生を囲む会をした。
私はその時臨月だったけど1時間電車に乗って会いに行った。
先生はめっちゃ痩せてたけど性格は全然変わらなくて、先生の子供の食べ方が汚いという理由でレストランでガチギレしていた(笑)。病気の状態も詳しく教えてくれて、もう抗がん剤治療が大変すぎるからそれはやめていて、今はすごく強いペインキラーを飲んでるだけだよって言ってた。
私はいっぱいいっぱい話したいことがあったのに全然英語が出てこなくて、先生は日本語も結構分かるから日本語も使っちゃったりして、全然自分の英語が上達していることを知ってもらうことができなかった。
K先生「そういえばこないだTOEIC900点超えたんだよね、すごいじゃん!英語も教えてるんだって?」
と言ってくれたのに、私は全然上手に返せなくて。
家に帰ってすごく落ち込んだ。
先生が帰国して間も無くして子供が産まれて、先生も喜んでくれてFacebookで連絡をくれて。先生はFacebookで色々なところに旅行している画像を投稿していたから、先生が投稿するたびに「よかった、K先生生きてる」「もしかして元気になったんじゃ」と期待したけど、やっぱりメッセージをやり取りすると「どんどん悪くなってるんだよ」って。
辛かったし、神様に祈るような気持ちだった。友達の中にはなんでも病気が治る気功みたいなのを習いに行こうか真剣に考えていた子もいる(怪しすぎるという理由で全員から止められた)。会社を休んでNZまで会いに行った子もいる。
それから2年もたたない頃、K先生のアカウントで奥さんから訃報の投稿があった。コメント欄は色んな国の人達のコメントでいっぱいになった。
K先生はもういない。授業中私が質問しすぎて(しかも問題文の意味がわからんみたいな謎な理由で)全然授業進まなくても「みんなが助かるから質問はどんどんしなさい」と言ってくれたり、テーブルの拭き方でガチギレされたり、ラグビーの試合に連れてってくれたり、グロい映画をギャーギャー言いながら一緒に見たり、訳分からんダンスを踊ったり、もっと上のクラスに行きたいから作ってと言ったら「自惚れるな」と言われたり、TOEIC満点取りたいと言って欲張りだと言われたり・・・
nasty(意地悪な)という言葉を新しく覚えたから使ってみたくて、K先生のいつもの軽口に対して
「You're nasty」
と言って本気で落ち込ませてしまったり
(冗談で使っていい言葉じゃなかったらしい、、それを説明してもらって、こちらは平謝り)
色々な思い出があるけど、もういない。
教えることに情熱を持っていた。
みんながK先生は厳しいけど教え方は格別だと言っていた。
あんなに素晴らしいスキルを持っていたのに、もう誰もK先生に英語を教えてもらうことはできない。
空虚、という感情と同時に、それでも先生が私たちに与えてくれたものはずっと生き続けるのだからそれを大切にしていかなければと強く思った。
自分がこれからも英語を続けていくことで先生が教えてくれたことは生き続けるし、先生が生きた証の1つにもなるのではないか、そう思った。こじつけのようにも思えるし、バカみたいに聞こえるかもしれないけれどそう思うことで自分を奮い立たせた。
今でも英会話が少し上手くできた日には「このくらい話せていたら最後に先生に会ったときもっと話せたかな」「あの時うまく説明できなかったことはこう言えばよかったかな」と思う。
TOEICで点数を更新すればそのたびに先生を思い出す。「あのとき無理だと思ってたでしょ?頑張ってるよ」と心の中では思ってるし、いつか990点を取って先生に褒めてもらいたいという思いもある。先生は「985点あるなら良くない?!」て言うと思うけど。
もちろん英語を勉強する理由は先生だけじゃなくってもっと複雑に色々なことが絡み合っているのだけれど、先生の影響は間違いなく大きくて、これからも自分が成長を感じるたびに、また壁にぶつかるたびに先生のことを思い出すのだと思います。
また私が今、人に英語を教えることで先生から貰ったものを繋いでいけたら先生はもしかしたら喜んでくれるんじゃないか、そんな風にも思います。
今日は先生の命日でも誕生日でもなんでもないのですが、「一生の終わりに残るものは自分が集めたものではなく与えたもの」、というツイートが拡散されているのを見て急に先生のことを思い出して書いたら止まらなくなってしまいました。
先生への想いを胸に、私の英語修行は続きます!
※ちなみに発音をディスってきた先生はまた違う先生です(念のため)その人はもっと若くて、今も元気に英語以外の仕事で頑張っているようです(笑)